春から初夏にかけて藤棚の周りや庭の花壇でブーンという大きな羽音を立てて飛び回る黒くてずんぐりむっくりしたハチを見かけて恐怖に身をすくませた経験がある人は多いでしょう。その体長は二センチメートルを超え全身が黒く胸部には黄色い毛がモフモフと生えているこのハチはキムネクマバチ(一般的にクマバチと呼ばれます)ですがその迫力ある見た目と爆音のような羽音に反して実はハチ界きっての平和主義者であり「強面の優しい巨人」とも呼べる存在です。まず驚くべきことに私たちがよく見かけるホバリング(空中停止)をしながら近づいてくるクマバチの多くはオスであり彼らにはそもそも毒針がありません。ハチの毒針は産卵管が変化したものであるためメスにしか備わっておらずオスは人を刺す能力自体を持っていないのです。ではなぜ彼らは人間に近づいてくるのかというとそれは動くものをすべてメスだと思って確認しに来ているというなんとも微笑ましい理由からです。彼らは視力がそれほど良くないためとりあえず近づいて確認し違うとわかればすぐに去っていきます。メスは毒針を持っていますが彼女たちは巣作りと子育てに忙しくオス以上に温厚で素手で掴んだり巣を破壊したりしない限り攻撃してくることはまずありません。クマバチの生態も非常にユニークで彼らはスズメバチやミツバチのように集団で巨大な巣を作ることはなく枯れ木や古い木造住宅の垂木などに強力な顎を使って丸い穴を開けその中に部屋を作って子育てをする単独性のハチです。彼らの顎の力は凄まじく硬い木材にも綺麗な円形のトンネルを掘ることができますがこれによって建物の強度が極端に下がることは稀でありむしろ彼らが開けた穴は一度きりではなく何世代にもわたって再利用されることもあります。クマバチは特に藤の花を好み藤棚の下に行くと必ずと言っていいほど彼らの姿を見かけますがこれはクマバチの体が大きく重いため藤のような複雑な構造の花をこじ開けて蜜を吸うのに適しているからです。彼らは「盗蜜(とうみつ)」といって花の根元に穴を開けて蜜だけを吸うという行儀の悪い技も使いますが花粉媒介者としても重要な役割を果たしています。かつて航空力学的に「クマバチの体型と翼の大きさでは飛べるはずがない」と言われていた時期があり「彼らは飛べると信じているから飛べるのだ」という逸話が生まれましたが現在では空気の粘性を利用した特殊な飛行方法であることが解明されています。このようにクマバチは見かけ倒しの怖さとは裏腹に知れば知るほど愛着が湧く不思議なハチでありもし近くに寄ってきても「ああ、メスを探しているんだな」と温かい目で見守ってあげれば決して害をなすことはないのです。